「英語嫌い」が発生するメカニズムと、その治し方
- johnny-osoro
- 2 日前
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英文法は最初から「例外」のオンパレードだ。動詞の過去形は-ed形だが、goの過去形はwentだ。助動詞の否定形は助動詞にn’tを付けるが、willの否定はwon’tであり、「o」がどこから出てきたのかの説明はなされない。rookieは「ルーキー」というのに、Rooseveltは「ローズベルト」だ。
「例外」は高校に入っても続く。otherの後ろは複数名詞(或いは不可算名詞)が置かれると習うのに、He is taller than any other studentの文では単数名詞が置かれる。前置詞の後ろは名詞だと習うが、for good(永遠に)は形容詞が後続している。blame O for ~、criticize O for ~、reproach O for ~は「Oを~で非難する」であり、「お、法則性が見えてきた」となるが、accuse O of ~でがっくりする。
こういった経験を重ねるうちに、一部の人は「数学の公式に比べ、英語の文法は例外が多すぎる!」という思いを強めていく。英語嫌いが発生するメカニズムである。
このメカニズムは数学の公式と英語の文法を同等に見做すこと、そしてそれ故に英文法を過剰に信頼していることから生じている。この2つが質的に異なるものだと捉えることが、英語嫌いから脱するカギだと思う。まず英文法とは本来どういうものか、以下に説明を試みたい。
まず第一に、英文法とは全て帰納的に導かれたルールだ。言語事象がまず存在し、それらをできるだけ多く、シンプルに説明しようと考え出されたものが文法だ。go-went-goneやwill-won’tといった言語事実がまず先に存在し、その後に出てきたのが英文法である。
数学の公式は自然に存在していたものを人が発見するものだが、英文法は人が考え出した創作物だから、同じ英語に複数の文法体系が存在したり(注1)する。この中でよりシンプルに多くの事象を統一的に説明している文法体系が優れたものと見なされ、生き残っていく。
第二に、どんな文法規則にも、統一的に説明しきれない領域、守備範囲から漏れる盲点がある。これは、本来無秩序に生まれ育った言語に対して、人が無理に秩序だった法則を当てはめようとしているから、仕方ないことなのである。
文法をこのように捉えることが大事だ。英語が得意な人は無意識にこのような捉え方をしている。文法は数学的な原理と比べて、生まれながらに脆弱なのだ。これがわかっていれば、英文法への過剰な信頼も防がれる。では、英文法を(常には)頼れないとなったら、英文を読むことにおいて何を重視すればよいのか。次はここを説明したい。
実際にある程度のレベルの英文を読むと、基礎の上に立つ応用力、つまり、その文章固有の文脈に合わせて意味を取る力が問われる。例えば野球において、選手が正しい投球フォームやバッティングの技術を身に付ければ、弱小チーム相手には勝てるだろう。だが、対戦相手のレベルが上がると、それだけでは勝てなくなる。実際の試合での判断の重要性が勝敗に絡んでくる。波に乗っている相手バッターに対して勝負をすべきかどうか。フライが上がった時、強肩の敵外野手がいる中でタッチアップを敢行すべきかどうか。代打は?継投のタイミングは?…
文法はあくまでも基礎技術だ。どんな場面でもある程度通用するが、それだけでは強豪相手に勝てない。ここぞ、という場面で勝つにはその場での判断力、その文脈に合わせた読解が必要になる。
例えば東京大’25の文章(一部抜粋)。東大の出す英文は単語や構文が比較的簡単だが、受験生の現場での応用力、即応力を見るものが多い。下線部を正しく訳せるだろうか。
Censorship may be as old as literature itself. "You can't say that!" I imagine someone sitting around an evening fire suddenly shouting to the community's favorite storyteller. "If you say that, tomorrow we will return empty from the hunt," calls out another. And so for the next gathering, the storyteller modifies the tale, omits a few details, changes some words and expressions. His listeners seem happy, his critics softened.
解答例は「『あなたはそんなことを言ってはいけない!』と、夜の焚火の周りに座っている誰かが、集団の人気の語り部に突然叫ぶのを私は想像する」だ。
ここには3つのポイントがある。1つ目は、can’tをどう訳すかだ。「~できない」と「~してはいけない」のどちらで訳すかは、前後の内容を鑑みて決定する。この文章は検閲についての文章だから、下線部はその場面を描いているのである。だから、「言ってはいけない」となる。
2つ目は、分詞が連続している点だ。ほとんどの受験生がimagine O (V)ingの形を見て、この文を知覚動詞の構文(Oが~するのを見る・聞く・感じる)の相似と見做せばよいことに気づく。しかし、この文には(V)ingに当たる分詞が2つ(sittingとshouting)あるから、どちらが、或いは両方が構文の一部なのかをその場で判断する必要がある。
3つ目のポイントはfireだ。英語が苦手な生徒でもfireに「火」と「火事」の意味があることは知っているだろう。しかし、an evening fireを「夜の火」、「夜の火事(の周りに座る)」と訳してよいのだろうか。否、実際はこれらと馴染む(=その文章固有の文脈に合わせて)fireの訳語を考える(=現場で即応する)しかない。
英語が苦手な子はこの「その場での判断」が苦手である。逆に、英語が得意な子、あるいは伸びやすい子はここに強い。そして、このその場での判断能力―ハイレベルな言語運用能力―に違いをもたらしているのは、先に述べた英文法に対する捉え方の違いである。
もちろん、苦手克服に最も効くのは勉強量である。英単語やイディオムはたくさん覚えた方が良い。英語が苦手である原因はほとんどが量の不足だ。この事実から逃げてはいけない。しかし、きちんと勉強しているのに伸びないと悩んでいるのなら、その原因は<英文法に対するマインドセット>にあるのかもしれない。その場合はぜひ英文法に対する正しい姿勢を身に付け、応用力を伸ばしてほしい。
注1) 例えば日本の学校ではis / am / areをbe動詞、Studying is importantのStudyingを動名詞、ifやwhenを従位接続詞として捉える英文法を教えるが、The Cambridge Grammar of the English Languageによる文法では、これらの品詞は存在しない。

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